「マカリイの網袋」ハワイ先住民 (ハワイ島) |
同じ取り方・完成形のあやとりは世界各地にあり、日本では「二段ばしご」・「二つ菱」・「二段橋」・「大網」などと呼ばれています。
1920年代のハワイ諸島では、「二つ目」、あるいは「大きな目のパペーオ (シマアジなどアジ科食用魚の若魚)」の呼び名で広く知られていました。しかし、ハワイ島のコナでは、「マカリイの網袋 Koko o Makali'i」とも呼びます。この名前で作るときは、唄や語りを伴い、最後は見ている人をちょっと驚かせる展開となります。
「マカリイ Makali'i」: 最初にハワイ諸島に到達、定住した民族やその時代については諸説があり、ここでは触れません。現在、わずかに残存しているハワイ伝統文化を生み出したのは、紀元1200年頃までに、マルケサス・ソサエティ諸島からカヌー船団を組んで大量移住して島々に分散したオーストロネシアン (オーストロネシア語を話す人々) だと言われています。ハワイの主要作物 (タロイモ、サツマイモ、食用バナナ…) のほとんども、この移住の期間にタヒチ辺りから運ばれてきたそうです。「マカリイ」はこの大航海時代の有名な航海士、カウアイ島の最初の統治者、また農作物をこの地にもたらした人物、天上のカーネとカネロア神の菜園の管理者などとして神話・伝説にたびたび登場します。
「網袋 koko」: 飲み水などを入れた大きなヒョウタンを入れて吊るしておく丈夫な網袋で、植物繊維を編んだ紐で作られています。水運びをする時には、荷い棒の両端にヒョウタン容器を入れた網袋を吊るして運んでいたそうです。[オーストラリア国立博物館の《Cook's Pacific Encounters》のページには、この網袋の写真が掲載されています]
以下は、あやとり採集者の L.Dickey が記述している「マカリイの網袋」の物語: 「プレアデス星団に住む半神半人のマカリイが、あるとき怒ってすべての食べ物をヒョウタンの中に入れ、誰も手の届かないところに網袋に入れて吊るしてしまった。一匹のネズミがカーネ神の黒く輝く雲を駆け上り、網袋とヒョウタンをかじって穴を開け、食べ物をすべて地上に落とした。これにより人々は飢饉を脱することができた」。
遠来の栽培植物がハワイの気候風土に適した品種であったとは限りません。人口が急増したり気候が不順になると、たびたび飢饉に襲われました。それで、ハワイには “なぜ飢饉が引き起こされたのか?” その原因を語る伝説がいろいろとあります。農作物をこの地にもたらした、あるいは天上の神々の菜園を管理しているとされるマカリイが飢饉に関与しているとするのは、ごく自然な考え方でしょう。そのマカリイ関与の物語も一通りではなく、「マカリイがケチな奴で、食糧を独り占めして網袋に隠したので飢饉になった」という異伝もあります。また、網袋を噛み切って人々に食べ物をもたらしたネズミも、下記の唄のような ‘普通のネズミ (?)’ であったり、神的存在が変身した ‘ネズミ人間’ であったりと変化があります。
次に、あやとり唄について:
♪ | Hiu ai la Kaupaku Hanalei (Hung up on the ridgepole of Hanalei) |
I na mapuna wai a ka naulu. (To the water springs of the rain cloud.) | |
ハナレイの棟木の上に吊るされた 雨雲の水の湧き出す方に向けて ♪ |
ハナレイはカウアイ島の大きな渓谷地帯の地名。この唄を1888年にハワイ島のコナで記録した J.S.Emerson は、「マカリイは、野菜を網袋に入れ、ハナレイのカイパク (Kaipaku 地名) の上空に浮かぶ雲に吊るした。コハラ (ハワイ島北西部の地名) から食べ物を探しに来たプルエナ (人名) は網袋を見つけ、その中にネズミを入れた。コハラ地方の一地区が “アイオレ” と呼ばれるのは、このとてもよいことをしたネズミの名前なのだ」と述べています。この話は「アイオレ」の地名の由来譚でもあります。なお、確かな根拠はありませんが、Kaupaku (棟木) と Kaipaku (地名) は言葉遊びになっているのかもしれません。
では、あやとりに戻りましょう。この完成形の大きな2つのひし形 (○) は、主食であるタロイモとサツマイモを;周囲の6つの三角形 (●) は、バナナ、ヤムイモ、クズウコン、食用シダの根、サルトリイバラ類などを表わしており、それらが網袋の中にあることを示しています (食べ物の種類についても異伝がある)。あやとりの作り手はここで、ネズミが網を噛み切ったように、パターン中央の交差している2本の糸 (↑) を噛み切るのです。網袋は破れ食べ物は地上へ落下して、めでたしめでたし。
あやとり糸にはつる性植物の茎などが用いられたのでしょう。このように最後に糸を噛み切って終わりとするあやとりは、筆者の知るかぎりでは、他にはありません。たいへん効果的な面白い演出ですね。
「マカリイ」はまた、プレアデス星団のハワイでの呼び名でもあります。この星団は、航海中の目印や、季節の時間経過を示す暦 (食料となる動植物のライフサイクルを把握するカレンダー) の指標として、古来より世界各地で人々の生活と密接に結びついていました。昔のハワイでは、日没時の東の空にこの星団が昇るのが見えた最初の日が一年の始まりとされていました。その新年から三ヶ月間行われる「マカリキ祭り」には、“今年は豊作・凶作、どちらの年か?” を占う行事があります。目の粗い大きな網の上にあらゆる種類の農作物を乗せ、網の四隅を持った人たちが網をゆらゆらと揺すります。作物は次々と網目をくぐりぬけ下へ落ちます。網の中に作物が残らなければ、今年は豊作となるわけです。この行事は、農耕の神ロノに関わる一連の儀式の一部なのですが、網から食料を落とすという行為は「マカリイの網袋」伝説にちなんでいると言えましょう。また、辞書には、プレアデス星団のハワイ語名称に「マカリイの網袋」も記されています。うっすらと広がる輝くガス雲を「網袋」、光る星々を「作物」と見立てるのでしょう。
今回、文献を渉猟してみて、「マカリイの網袋」伝説は昔のハワイでは誰もが知っている物語であったことがわかりました。それをユニークなあやとりに仕立て、見る人を楽しませていた名もなきハワイのあやとりマエストロに敬意と親しみをおぼえた次第であります。
以上の参考文献は、購入可能。ハワイ神話学の権威 Beckwithの2冊の書については、オリジナル版の全文がネット上で公開されています。 → 《Internet Sacred Text Archive》
取り方: 二段ばしご