Last updated: 2020/12/19

あやとりの精霊「トタングアック」

〔パターンA〕

〔パターンB〕

19世紀末から始められた極北圏の調査でもっとも広く知られていたのがこのあやとりです (右イラスト)。アラスカ、カナダからグリーンランド西岸地方まで、呼び名は地方ごとにさまざまに変化していましたが、「このあやとりは、できるかぎり素早く作る」という伝承だけは、ほとんどの地方で共通しています。それは、このあやとりが「トタングアック (tuutarjunk)」と呼ばれる〈あやとりの精霊〉の民間伝承と密接に結びついていたからです。

このパターンを「トタングアック」と呼んでいたのは、カナダ極北圏中央部、ペリー湾岸のネツリック・イヌイット。当地では、〈トタングアック〉は、あやとり遊びに夢中になっている人間の命を奪い去る怖い精霊と考えられていました。今日では、夜遅くまであやとり遊びをしている子どもを戒める話として紹介されています(*)。しかし一昔前までは、大人にとっても怖ろしい精霊であったことは、1910年代のアラスカ地方の調査で明らかになっています。

(*) マーガレット R. マクドナルド (2004)『明かりが消えたそのあとで — 20の怖いお話』佐藤凉子訳・出久根育画、編書房 原著:MacDonald, Margaret Read (1988) "When the Lights Go Out : 20 Scary Tales to Tell". The H.W.Wilson Co., NY

1913~18年、アラスカからカナダ中部極北圏コロネーション湾地方を探検・調査した D.ジェネス (オタワ・ビクトリア博物館、人類学) の報告書には、現地の人々が綾取りについて信じていたことについての詳しい記述があります。

極北の人々が綾取りについて信じていたこと "Eskimo Beliefs concerning String Figures"

アラスカからカナダ極北圏地方に暮らす人々の間には、綾取りに関係するさまざまな言い伝えがあったが、その大半は西欧文明の影響を受け消滅してしまった。アラスカのコツビュー湾からカナダのコロネーション湾の東端に位置するケント半島までの地方では、太陽が地平線から顔を出さない極夜の季節だけ綾取りすることが許され、それ以外の季節には綾取りをしてはいけないというタブーがあった。アラスカとカナダ・マッケンジー地方では、かなり以前からこのタブーを捨て去って、一年を通じての娯楽となっている。しかし、コロネーション湾地方では、厳格に守られているわけではないが、1916年の時点でもそのタブーは生きていた。1915年の夏に、一人の女性が目新しいパターンをいくつか私に見せてくれたのだが、その時に、「でも、この遊びをするのは、冬までお預けにしなければならない」と一言注意された。同じ夏に一人の少女が綾取りを見せてくれた時は、太陽の光が差し込まないようにテントの入り口を入念に閉じてからやった;この地方の人々にとって、〈太陽の日差しの下であやとりをしてはならない〉というタブーは、〈太陽は、綾取り遊びしている人を見つけたらすぐに、その人に不快な感覚を与える (tickle)〉という伝説に基づいている。1915年の秋、現地人とのハーフである私の通訳は太陽が沈む前にあやとりを取っていた。すると、その後にブリザードが荒れ狂い、「こうなったのはすべて[日没前に綾取りをした]おまえのせいだ」と一人の老人が彼を責めた。また、アンダーソン博士からの報告では:1910年の春に、[カナダの]コパーマイン川地方の人々が博士のテントであやとりをしていた時、奇妙な物音が外から聞こえてきた。すると、皆はすぐに綾取り紐を捨て、静かに外へぞろぞろと出ていった。その時、アラスカ人の通訳は、「連中はタブーを破ったから、怖い精霊がやってきたと思っているのだ」と説明したのだそうだ。

最後の話は、綾取りに結びつく特定の精霊が存在するというアラスカの人々の世界観と相通じるものがある。同じ考え方は、1915年の冬、[カナダ本土とビクトリア島との間の]ドルフィン-ユニオン海峡地方で催されたシャーマンの集会で再び明らかとなった。しかし、それは[カナダのコパーマイン川地方の]コパ-・イヌイットの間では、ほとんど知られていないし、比較的近年に西方の人々によってもたらされた可能性が大きい。一方のアラスカでは、このあやとり精霊についての言い伝えが多くあり、精霊がシャーマンの守護霊になっている話さえある。精霊は、乾かした皮をこすった時に出るような “カサカサ・パチパチ” という特徴のある音とともにその存在を顕わす。そして、自分の腸か、あるいは見えない紐で綾取りを作る。[ベーリング海峡に面したアラスカの]プリンスオブウェールズ岬の人々は、精霊を追い払う魔除けの言葉を発することができなくても、「人差指の構え」で精霊を追っ払うことができると信じている。しかし、アラスカの他の地方では、そのために作る特別の綾取りがあった[「二つのおもちゃの唇飾り」]。紐がなければ、ちょっと綾取りを作っているふりをするだけで十分である。しかし、もしその動作をしなければ、その家にいるすべての人が麻痺して死んでしまう。

プリンスオブウェールズ岬の一人の婦人が語るあやとり精霊の話:

岬近くのさびれたスズ鉱山の町ティンシティがあったところに、かって一人の少年がいて毎晩あやとり遊びをしていた。ある夜、いつものように遊んでいると、あやとりの精霊が家の中に入ってきて、自分の腸を引き出しておなじようにあやとりを始めた。様子に気づいた少年の母親が「あんたに、いつも綾取りばっかりするなと言ってるでしょ!」と怒鳴り、息子の手から糸をひったくって精霊に向かい合って床にすわり、「人差指の構え」を作り、ほどき、また作る。またほどき、そして「おまえを食らう。お前と競争だ」と言いながら三回目の「人差指の構え」を素早く作り、侵入者の顔の前に見せびらかすように突きつけた。精霊は入り口の方へとあとずさりしたので、母親はさらににじり寄り、両者互いにあやとりの競い合いを続けた。そして、ついに精霊は扉の向こうへ消えた。母親が冷静沈着になすべきことをしたので息子と彼女自身の命が助かったのだ。

若い頃ノアタク川地方に住んでいたアラスカ北西地方の住民アラクから聞いた二つの話:

[その1]ノアタク川地方に住んでいた子どもの頃、ダンスハウスを建て、みんなで集まって踊りの練習をしていた。近隣の人たちに祭りの招待の使者を走らせるのはその後のことだ。私ともう一人の子はさらに食べ物を持ちこむために送り出されたが、私たち二人がいない間に子供たちの何人かが、老人たちの注意を無視して、大騒ぎをはじめた。私が戻ったときは、何も変わったことはないようであったが、突然、家の外から、銃声のような鋭い爆音がして、パチパチッと乾いた皮を裂くような鋭い音が鳴りだした。この音は家の周りをめぐり、皮で作られた幕で覆われているだけの入り口の方にやってきた。まもなく霧の流れが入り込み、その背後から霧に身を隠したあやとりの精霊が室内に入ってきた。ランプの炎は一瞬、ぱっと明るく燃え上がったが、しだいにゆっくりと暗く、暗くなっていった。皆は恐怖で身がすくみ、身動きもできず坐っていた。一つまた一つとランプの炎は消えていく。時折り「誰も外へ出ないのか?」と一人の老人が叫んだけれど、誰一人動き出そうとはしなかった。室内がだんだん暗くなってきた時、長椅子に坐っていた私の祖父が向こうから私をそばへよんだ。私はすごく怖かったので、大急ぎで祖父の膝の上へとかけこんだ。すべてのランプの灯が消えようとしたその時、別の老人が突然、まだ明かりのあるランプを一つつかんで外へと飛び出して、家の周りを走りまわった。外気がこのランプを消してしまったが、皆がそれに再び火をつけた。そして消えてしまった他のランプにも火を灯した。精霊は消え失せ、すべてが元通りになったように見えた。しかし、まもなく、その老人の手はどんどん冷たくなり、ものも言わず坐りこみ、動かなくなってしまった。彼の兄弟が「どうした?」と聞いたが、彼は何も答えられなかった。居合わせた数人のシャーマンが呪力を込めて祈祷をしたので、朝にはこの老人はやっと動くことができるようになったが、その後もしばらくは話をすることができなかった。しかし、もし、彼が火のあるランプを外へ持ち出す前にランプの明かりが全部消えてしまっていたら、その場にいた者は皆、麻痺して死んでいただろう。

[その2]ノアタク川沿いの別の集落に住んでいた二人の男のことについても聞いている。二人は、あやとり精霊の存在を信じていなかった。しかし、「自分たちは、太陽が極夜の後に戻ってくる一時期だけ見える二つの星から来たのだ」と言っていた。その一人がダンスハウス中にいた時、入り口の幕を通って、大量の霧が流れ込んできた。彼の二人の友人は、精霊を追っ払うための呪文を唱えながら、素早く「二つの唇飾り」のあやとりを作ったり、ほどいたりした。しかし、霧は立ち込めたままだった。まもなく、少し霧が晴れ、入り口の幕と二人の間に、ほんとうに綾取りしているかのように両手を動かしている一人の老人らしき姿が浮かんだ。二人は「二つの唇飾り」を何度も何度も作り続けたのに、精霊を追い出すことはできなかったのだ。ランプの炎がゆっくりと消えようとしたその時、あやとり精霊を信じていないと言っていた男がランプをさっと持ち上げ、それを持って家の周りを走り回り、中へ戻ってきた。そして入り口に向かって突進した瞬間、老人らしき人影は消えた。その男の友人はどちらもシャーマンであったのだ。彼らの呪力によって、最悪の結末から男を救うことができたのだ。[「彼らの呪力によって、男を救うことができた」とあるが、実際にランプを持ち出して走り回ったのは〈あやとりの精霊〉を信じていない男その人である。その男にこのような行動をとらせたのも二人のシャーマンの呪力であったということであるらしい。原文に従えばそのような解釈になりますが、訳者には何か釈然としない感じが残ります。]

コルヴィル川流域[アラスカ北部]のアクシアタクの住民からは以下の話を聞いた:

その頃私は年若い少年であった。母と家の中にいた。私たちは、たくさんの乾いた皮が風で震えているような大きなパチパチという音を聞いた。母はすぐに外へ走り出て家の周りを走り回った。家の中に戻ってきて、あの音はあやとり精霊が出していたのだと言った。しばらくの間、聞き耳を立てていたが、その音はもうしなかった。

シャーマンの中には、この精霊をコントロールできる者がいる。以前に、綾取りを差し出すように両手を広げているシャーマンを私は見たことがある。彼の手指には糸は全く見えないのだが、綾取りを差し出しているように見えるのだ。数人の男がその見えない紐の上にベルトを置いたが、そのベルトは宙に吊るされたままだった。[この一節は現地人の体験談ではない。「私」(= D.ジェネス) が見たのは、ただのマジックであり、〈あやとりの精霊〉とは関係ないのではないか?本物のシャーマンが見世物のようなことをするとは思われないが…。]

ハドソン湾地方[極北圏中部から東部にかけてのカナダ]では、アラスカの人々とは少し異なったことが信じられている。カマー船長 (Captain Comer) の聞いた話では、イグルーリックの人々は秋、太陽が南へ行く時に綾取り遊びをする。それは綾取りの網の目で太陽を捉え、太陽が消滅しないようにするのである(*1)[北緯66.5度より高緯度地方では、北へ行くほど、1日中太陽の出ない日 (=極夜) が多くなります。イグルーリックの暮すメルビル半島は、その北緯66.5度線辺りから北へ300kmほど突き出しています]。さらに、この話を記録に残した[アメリカの人類学のパイオニアである]フランツ・ボアズ自身は、ハドソン湾の西岸地方での言い伝えについて述べている:「少年たちは綾取りをしてはいけない。なぜなら、大人になって銛綱に手指が絡まってしまうかもしれないから。彼らは、大人になったら、綾取り遊びすることが許される。この禁止は、指を失った猟師のことを念頭に置いて言われている。若い時に綾取り遊びしたからだと信じられているのだ。このような綾取り好きの若者たちは、特に陸上 (氷上) でのアザラシ狩りで指を失うのがおちだと考えられている」(*2)

コパー・イヌイットの社会や、その遥か西方のアラスカでは、若者も年寄も同じように遊んでいる;ほんとうのところ、親たちにとって幼い子供たちに綾取りを教えるのは格別の楽しみなのだ。

(*1) Boas, F., The Eskimos of Baffin Land and Hudson Bay. Bulletin of the American Museum of Natural History vol.XV, part1, pp.151
(*2) Idem, pp.161

以上、Jenness, D. (1924) "Eskimo String Figures." Journal of American Folklore (Lancaster Pa) Vol.XXXVI: pp.281-294 所収の "A. Eskimo Beliefs concerning String Figures" を全訳。原文にある「エスキモー」という呼称は、現在、アラスカの一部を除いて使われていません。この拙訳も現在の慣行に従いました。[カッコ]内は訳者補注。

「〈あやとりの精霊〉を追い払うためのあやとり」の作り方は以下の通り:

  1. (01)
    人差指の構え (01)
  2. (02)
    指先を向こうに向け (02)、親指を人差指・小指の輪の下をくぐらせ、親指の背で小指向こうの糸を取り、親指を人差し指の向こうの糸と小指手前の糸の間に突き出し、小指手前の糸の上に乗せ、その糸を親指の腹で押さえつけながら、指先に巻きつけ、元の位置へ戻す。
  3. (03)
    人差指の輪をはずす。〔パターンA〕のできあがり (03)
  4. (04)
    人差指を上から親指の輪に入れ、親指下・手前の糸を取り、親指をはずす。〔パターンB〕のできあがり (04)

アラスカからグリーンランドまで西から東へ、このあやとりに伴う言い伝えの知られていた地方のデータ (Jenness:1924, Paterson:1949, Mary-Rousseliere:1969):

ベーリング海峡に面したアラスカのプリンスオブウェールズ岬:〔人差指の構え〕を作ることに〈あやとり精霊〉を追い払う呪力があると信じられていた。〔人差指の構え〕を作り、人差指の輪をはずす。再び作り、またはずす。〔人差指の構え〕が現れるたびに “イレリシ (意味不明)” とはっきり言い、“おまえを食らう。おまえと競争だ” と言いながら三度目の〔人差指の構え〕を作り、そのパターンを精霊の目の前に見せびらかすように突きつけて “消え失せろ!” と怒鳴りつける。

アラスカ西部の町ノームとクラレンス港地区:「二つのおもちゃの唇飾り」(=〔パターンA〕) を作り、“イレリシ イレリシ (意味不明)。おまえを食らう。おまえと競争だ。消え失せろ!” と昔は唄っていた。

アラスカ北部のポイント・バローと内陸部:「二つのおもちゃの唇飾り」(=〔パターンB〕) を作り、“来い、いくぞ。おまえと競争だ!”と言って可能な限りの最速のスピードで再びはじめからから作る。スピードが遅ければ、〈あやとりの精霊〉との競争に負けてしまうからと信じられていた。

カナダ極北圏中央部ブーシア半島の東、ペリー湾岸のネツリック・イヌイット:〔パターンA・B〕、どちらも「トタングアック」と呼ばれる。当地では、〈トタングアック〉は、あやとり遊びに耽っている人間の命を奪い去り、ときにはご婦人を襲うこともあるたいへん危険な精霊と考えられていた。

バフィン島東岸:名称不明。この地で出会ったイグルーリック系のイヌイットの猟師は「昔々二人のアンガコック (シャーマン) が精霊を追い払うのに、このあやとりとその続きを用いた」と語っている。

グリーンランド北部西海岸ヨーク岬:〔パターンA・B〕に同じ名称があるが、意味不明。このあやとりはものすごいスピードで作るという言い伝えだけはある。

グリーンランド中部西海岸アッパーナヴィク:〔パターンA・B〕の呼び名は「ウミアック」(皮舟:カヤックより大型の、海獣の皮を張った木造ボート)。当地の人々も早作りしなければならない理由を知らないながらも、可能な限り素早く作った。


ある研究者は、このあやとりの現地語名称の方言化の分析などを通じて、“このあやとりは、西方 (アラスカ) 起源で、一度は、グリーンランド西海岸まで広がっていた。そのように起源と伝播ルートを、かなりの確実性をもって断言できる珍しい実例である” と述べています (Mary-Rousseliere, G. 1969)。その説に従い、〈あやとり精霊〉伝説がアラスカ地方から発生したとすれば、「〈あやとりの精霊〉を追い払うためのあやとり」の本来の名称は「二つの (おもちゃの) 唇飾り」であったのかもしれません。ところで、アラスカなど極北圏西部で暮らす人々は、かなり昔、社会的地位の象徴として、象牙あるいは骨で作られた唇飾りを身に付けていたそうです。その唇飾りそのものに〈あやとり精霊〉を祓う魔除けの効能があったのでしょうか?残念ながら、そのあたりのことは全く解明されていないようです。

Jenness, D. (1924) "Eskimo String Figures" Report of the Canadian Arctic Expedition (1913-18), Vol.13, part B
Paterson, T. T. (1949) "Eskimo String Figures and Their Origin." Acta Arctica 3
Mary-Rousseliere, G. (1969) "Les Jeux de Ficelle des Arviligjuarmiut" Musees Nationaux du Canada Bulletin 233
Ys 2007/10/19