建造物のあやとり
ここでは、建造物のあやとりを紹介しています。
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「ティーピィー」ヘカレーヤアパッチ |
伝承者は、1904年セントルイス万国博覧会に ‘参加’ していたニューメキシコ州北部のネィティヴ・アメリカン、ヘカレーヤアパッチ (the Jicarilla Apache) の女性 Darsia Tafoya。「ティーピィー (teepee, teepe, tipi)」は、ヘカレーヤアパッチの人々の伝統的な住居である円錐状のテント。その出入り口には、扉代わりの幕が掛けられています ⇒ テントの幕
ヘカレーヤアパッチの公式サイトには、特別保留区に建てられた「ティーピィー」の写真もあります。
Ys 2007/06/16
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「儀式小屋の足場」ブラジル |
ブラジル中央部、アラグアイア川の上流域に住むカラジャの人口は約2,700人。100年以上前から〈外の世界〉と交流しながら、独自の文化を今に伝えています。その儀式の一つが「へトホキイ Hetohoky」と呼ばれる少年の通過儀礼 (成人式)。10~12才の少年たちは、儀式小屋に7日間閉じ込められ、試練に耐えながら、大人として生きていくための知恵・知識を与えられます。
取り方:"String Figure Magazine" Volume 9, number 2 (June 2004) (ISFA会員のみが取り方を閲覧できます)
Ys 2004/11/20
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「シベリアの家」→「二人の男が逃げ出す」ベーリング海峡諸島 |
「シベリアの家」→「二人の男の子が逃げ出す」チュコト半島 |
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「シベリアの家2階建て」 |
1905年、ペンシルベニア大学博物館の G.B.ゴードンが、ベーリング海峡のダイオメード島 (Big Diomede Island) で採集。「シベリアの家」から人差指の輪をはずして広げると「(テントがつぶれて) 二人の男が逃げ出す」。1909年には、A.E.ホッダーがユーラシア大陸最東端チュコト半島で、‘二階建て’ の「シベリアの家」を採集している。
「シベリアの家」は、日本の子ども向けあやとり本では ‘氷の家’ にアレンジされています。それはそれでよろしいが、〈春になると氷の家が融けて中の人間が逃げ出す〉というのは、私たちの想像する漫画的イメージであって極北の現実世界の話ではありません。この「シベリアの家」はチュコト半島でトナカイの遊牧をしているチュクチの人々 (the Chukchee people) が、遊牧の季節に利用している移動用の大きなテント状の住居 (ヤランガ) のことです。ヤランガの写真はこちらリンク先は存在しません。
アラスカ西岸のクラーレンス港地区や内陸地方では、同じあやとりを「小さなボート」と呼んでいます。ボートを担いでいた男二人が、ある人から「ここでキャンプするのか?」と尋ねられ、怖くなって「そんな気はない」と言ってボートを投げ出し逃げて行くという唄が付いている。
カナダ・バンクーバー島の先住民クワクワカワク (クワキウトル) の伝承では、はじめ方が少し異なるが、同じ出来上がりのパターンとその続きがある。「二匹の犬」→「犬が逃げる」。
取り方 (動画・音声):院内課外活動教材ライブラリー
Ys 2007/11/06
取り方: シベリアの家
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「草ぶきの小屋」ザンビア |
1904年、アフリカ中南部のタンガニーカ湖とその周辺地域の生物調査探検をしていたイギリスの動物学者 W.A.カニングトンは、余暇を利用してあやとり採集にも熱心に取り組んでいました。タンガニーカ湖南端のザンビア北部地方でバントゥー系男性から習得したこのあやとりは、潅木の枝などを用いて作る小屋 (Nsakwe:a temporary grass hut) を表わしています。
1930年頃のザンビアのバントゥー系住民の生活調査記録には、「村内で死者が出た時には、村全体が儀式で清められるまでの間、村の外に Nsakwe (a temporary shelter) をたくさん建て、村人全員の仮住居としていた…;大勢の弔問者が来た時の臨時の宿泊施設にも利用…」などの記述があります。Nsakweは、身近な植物を使って簡単に作り、そして壊す (自然に還す) ことのできる “エコな仮設住居” として幅広く利用されていたようです。
なお、1920年刊行の一般向けのあやとり本では、完成パターンを上下逆にして「パラシュート」と呼んでいます。
取り方:野口廣 (2010)『3才から遊べるはじめてのあやとり』主婦の友社
Ys 2011/06/11
取り方: 草ぶきの小屋
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「アタヌアの家」仏領ポリネシアマルケサス諸島 |
1920年代、マルケサス諸島のヒバオア島で採集。島民に “Fa'e Papa” と呼ばれるこのあやとりは、マルケサス神話に登場するアテア神の妻となった最初の女性 “アタヌア Atanua” の家を表しています。アタヌアの家は、ヒバオア島南部、アツオナ渓谷の末端が海に沈む所、その海中にあると言われています。
取り方:"String Figure Magazine" Volume 2, number 3 (September 1997) (ISFA会員のみが取り方を閲覧できます)
Ys 2011/12/23
取り方: アタヌアの家
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「塩の家」ハワイ先住民 |
1920年代の調査ではハワイ全島で最もよく知られたあやとりの一つでした。カウのケアアにある洞穴のような家に住む実在の人物をからかった唄が付いています。
上のパターンは、「入り口の開いている家」を表しています。親指で小指の輪にかかる2本の糸を下から手前へ引くと、家の入り口が閉まります (下のパターン)。唄を歌いながら、入り口を開けたり閉めたりして遊びます。
家の中ですわっている主人と入口に立つ召使の会話が唄になっています。
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「誰か来ます!」
「どこにいる?」
「すぐ近くに」
「手に何か持っているか?」
「何も」
「閉めろ、入口の扉を閉めろ!」
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「誰か来ます!」
「どこにいる?」
「すぐ近くに」
「手に何か持っているか?」
「塩を少し」
「開けろ。入口の扉を大きく開けろ!」
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おそらく、ケチで有名な人物だったのでしょう。「塩」は「塩のような貴重な値打ちのあるもの」を意味しているそうです。
(ご注意:現地語の歌詞とその英訳は Emerson の下記の原著に記載されています。この拙訳 – by Ys – をあまり信用しないように。)
なお、取り方も全く同じあやとりは日本でも伝承されていました (「トンネル」参照)。
Ys 2011/02/23
取り方: 塩の家
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「トンネル」日本 |
《さいとうたま あやとりコレクション》
山口・下関1914年生まれ;広島・庄原1929年生まれの二人の女性から採集。ハワイの「塩の家」のように、入り口を開け閉めする遊びは知られていません。
取り方:『あやとりいととり 2』(pp.20-21 トンネル)
Ys 2007/10/27
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「鳩小屋」ティコピア島 |
ソロモン諸島の東端、ティコピア島のあやとり。鳩小屋の出入り口は、金網の張られた木枠の下側が蝶番で止められ、上下に開閉できるようになっている。その木枠が水平に開かれると、帰ってきたハトが降り立つ台になる (左)。ハトが中にいるときは、捕食者の侵入を防ぐために閉じられる (右)。このあやとりでは、この二つの状態を簡単な取り方で何度でもくり返すことができます。
取り方:"String Figure Magazine" Volume 6, number 1 (March 2001) (ISFA会員のみが取り方を閲覧できます)
Ys 2005/01/01