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あやとりトピックス 141-150

箸置き「あやとり」 2007/09/17

こういうものをネットで見つけて購入しました:箸置き「あやとり」(山口敦雄氏作)。素材・原料は、紐=ポリエステル、塗料=漆だそうです。細いながら、しっかりと立つように仕上げられたこの「箸置き」は「橋」の形を思わせます。

以前、「あやとり」のディスプレイ (トピックス 130) として、コルクボードにプッシュピンで平面的にあやとりパターンをとどめて、インテリアに使うことを紹介しました。今回のものは、立体的なオブジェとして自立しており、単純な作りながら、なかなか面白く、楽しめます。他のあやとり作品も、折り曲げるなどしてこのような立体にすれば、新たな視点で見直し楽しむことができることを教えてもらいました。

ところで、この「箸置き」をあやとりとして作ることはできるでしょうか?このパターンを平面的に描きます (左図)。これは、一筆書きで描けるのですが、問題があります。ほかの頂点での線の出入りは、すべて偶数ですが、図に示した○で囲んだ頂点での線の出入りの数は、5となり奇数です。ということは、一筆書きで描くには、これら二つの頂点の一方の頂点からスタートし、もう一つの頂点へと行ったきりになります。しかし、あやとりパターンの場合は、閉じた一つの円ですから、どの頂点から出発しても、必ず元の頂点へ戻ってくることになります。結局、あやとりパターンでは、すべての頂点での糸の出入りは、すべて偶数になります。ですから、この「箸置き」パターンは、あやとりでは作れないのです。

この「箸置き」パターン———三つのダイヤを横切るラインのあるパターン———と、見かけ上よく似た伝承あやとりが知られています。メラネシアのソロモン諸島 (ティコピア島) の「三つのココナツ」です (右図(*))。

このパターンでは横断線が2本になっているので、先ほどの○で囲んだ頂点の線の出入りの数は、どちらも6となり偶数です (左図)。それで、こちらのパターンは、あやとりとして作ることができるのです。

(*) Raymond Firth, and Honor Maude (1970) “Tikopia String Figures”, Royal Anthropological Institute of Great Britain and Ireland, London
TS

インターネットマガジン『あしたのハーモニー』 2007/08/26

「あしたのハーモニー」は、TOYOTAのインターネットマガジンです (→ こちら)。8月12日公開の第2号、「ハモワザ大全」のページでは、まわりの人たちとハーモニーするための技 (ハモワザ) として、「箸袋の折り紙」・「ペン回し」・「手影絵」・「肖像画のスピード描き」、そして、「あやとり」が紹介されています。特殊な道具を使うのでなく、どれもありふれたものを使いながら、その場を和ませるそれぞれに面白い芸です。

あやとりでは、「シベリアの家」・「白鳥」・「耳の大きな犬」の取り方がビデオクリップで紹介されています。

TS

『世界あやとり紀行 — 精霊の遊戯』展 at 名古屋 2007/07/22

7月6日に名古屋を訪れました。駅前に最近オープンしたミッドランドスクウェア、二日後に初日を迎える大相撲名古屋場所の櫓太鼓や幟が目に留まりました。

さて、『世界あやとり紀行 — 精霊の遊戯』展が、INAX名古屋ショールーム内のINAX名古屋ギャラリーに6月7日から巡回しています。このショールームは、ホテル・ヒルトン名古屋の斜め向かいで、広小路通り沿いのグリーンビルの1・2階を占め、ギャラリーはその2階にあります。

グリーンビル
INAXショールームの入り口

ギャラリー入り口に向かうスペースをはさんで、左手には、既刊のINAXブックレットの展示スペース、右手にはポスターが掲示され、さらに記帳台や紐や案内チラシが置かれています。入り口には、正面にタイトル、右手にあやとりについての紹介パネル、左手に本企画の挨拶パネル、あやとりの「ナバホの蝶」・「火山」の写真パネル、小さなビデオ再生装置があります。中に入っていきますと、左に概説スペース、右に〈北米/南米コーナー〉があります。概説スペースには、「コミュニケーションツールとしてのあやとり」のパネル、あやとりオブジェ「投げやり」、あやとりの分布を示した世界地図パネルとなり、一番奥は〈図書・文献コーナー〉です。その左手の〈プロジェクターコーナー〉の入り口には、ISFAを紹介したパネルがあります。ギャラリー入り口の裏手に当たる〈プロジェクターコーナー〉の中に入りますと、正面は大きなスクリーン、両側面は、様々な完成パターンの現物が展示してあります。コーナー入り口左側は、〈極北圏のあやとりコーナー〉で出来上がりパターンの写真も展示されています。

会場入り口 (左・中央)
会場入り口 (右)
極北圏コーナー
ラパヌイの写真

元に戻り、〈図書・文献コーナー〉の右手は、〈アジア・アフリカコーナー〉の入り口です。「お守り」の取り方の写真パネルを中心に、右手に〈アジアコーナー (中国・インドのあやとりを取っている人々の写真、「二人あやとりを取り合っている情景を描いた江戸時代の絵本のパネル」やアジアのあやとりの紹介パネル)〉、左手に〈アフリカコーナー (「木琴・鳥の巣・集会場」のあやとりパターンや、あやとりを取っているアフリカ人々の写真、アジアのあやとりの紹介パネル)〉、反対側は〈オセアニアコーナー〉への入り口です。隣の〈オセアニアコーナーへは、あやとりオブジェの「トンネル」をくぐって入ります。そこでは、パプア・ニューギニアやラパヌイ (ラパヌイのあやとり) の人々が、あやとりを取っている様子の写真や、「テントの幕/ナバホの敷物」オブジェの向うには、さまざまなあやとりパターンの写真がまとめられて展示されています。ここから、〈北米/南米コーナー〉につながっていきます。このコーナーでは、「赤ん坊占い」の取り方の写真パネルを中心に、あやとりを取っている人々の写真や、「テントの幕/ナバホの敷物」のあやとり写真があります。なお、当会場では、「天の川」・「赤ん坊が生まれる」・「ウミヘビ」・「カメ」の写真は展示されていません。

〔追記 あやとり講演会〕

名古屋会場での「トーク&ミニワークショップ」は7月6日に開催されました。参加者は約60名。今回は手話通訳も入りました。30分の講演は、スライドショーを見せながら、日本あやとり協会・国際あやとり協会 (ISFA) の設立のエピソードや、活動内容のざっとした紹介。ISFAは、世界各地の伝承あやとりの完成型だけでなく、統一した記述法による取り方、あやとりに伴う歌と言い伝えを収集・保存しています。また、伝承あやとりだけではなく、世界の愛好家による創作も活発に行われています。創作あやとりの「自動車会社のロゴ」の紹介では、会場から笑いが起こりました。その他、あやとりの捉え方=あやとりの魅力として、あやとりを用いてのパフォーマンス (ストーリーテラーやダンス)、言語学 (あやとり唄には滅びた言語の歌詞もある)、社会学 (タブーのこと、同じパターンでも地域によって取り方が違うこと—あやとりの伝播の問題)、教育、数学 (はしごの解析)、心理学 (ロールシャッハテストのように、出来上がりパターンから何を感じ取るか)、歴史学 (文献によるあやとりの記述の紹介)、デザインの美しさ、癒しの効果、あやとり収集家の伝記などなどにも触れました。これからの方向として、データベース電子化、録画ビデオ図書館の構想もあること、その一環として、モアイ像の前でのラパヌイのあやとりパフォーマンス動画や、ナバホあやとりの取り方のビデオクリップ映像 (ナバホのあやとり) も紹介しました。限られた時間内での急ぎ足の説明でしたが、参加者の皆さんはなかなか熱心に聞き入っておられました。

終了後、以下の質問がありました:

問:日本語の「あやとり」の語源?
答:糸が交差してできる模様を「あや」と言い、これを取ることから。糸を取るから「いととり」と呼ぶ地方もある。→ 遊びの名称
問:そもそものあやとりの起源
答:世界のあやとりの記録調査が100年前に始まったばかりであり、わかっていない → 「あやとり」の発祥地。ただ、世界各地に各種多様なあやとりが幸運にも残されていることに感動している。

講演の後は、あやとりの実演:「天の川」— 6mもの長さのループを使い、一連の繰り返し操作でダイヤの数を増やしたり (夜が更けるにつれ星が増えていく)、また逆に減らしたりしました (夜が明けて星が見えなくなる);「引き潮」— 干潮になるにつれ、姿を現す岩が増えてくる、ループを持ち替え、同じ操作をすると潮が満ちてきて岩が隠れて数が減っていく様子を表している;「ハマトビムシ」— 世界で一番簡単なあやとり。その後のミニワークショップでは、「ぱんぱんぼうき」、「木登り男」、「バトカ峡谷」、「テントの幕/ナバホの敷物」、「ハエ/カ」、「シベリアの家」を取りました。ただ、世界のあやとりの完成パターンの広げ方が多彩なので、はじめは戸惑っておられたようです。それでも、INAXスタッフ・ISFAメンバーの指導で、老若男女の皆さん和気藹々、熱心に取り組まれ、指を大きく広げたり、指先を向こうに向けたり...など、ちょっとした工夫でパターンがくっきりと現れるコツを習得して感動され、クリヤーされました。最後は、再び実演コーナー (「うさぎ」、「カモメ」、「耳の大きな犬」、「さえずる白鳥」、「山並み」など) で締めくくりました。終演後には、多くの方がブックレットを買い求められ、あやとりの世界の奥深さに興味を持っていただけたようです。

TS

自動車会社のロゴ 2007/06/03

「創作あやとり」の一つの分野として、あやとりで、簡単なマークを表現してみようという試みがあります。以前、その例を紹介しました:「トピックス 020:五輪のマーク」・「トピックス 051:ハートのマーク」など。

今回は、6月7日からINAX名古屋ギャラリーで開催される『世界あやとり紀行 — 精霊の遊戯』展にちなみまして、愛知・名古屋から強引に発想して、戯れに、トヨタ自動車のロゴ (下左) を、あやとりで作ってみました (下右)。

 
「トヨタ自動車のロゴ」by T. Sato

作り方:

  1. あやとりの糸を左手の親指・小指に時計回りに巻き付け3重ループを作ります。
  2. 右手の親指・小指を下から、3重ループに入れ、両手を広げます。
  3. 小指から一つループをはずします。
  4. 今、親指手前側には3つのループがあります。一番下は左右に真っ直ぐに走る糸、上の2つは、互いに交差しています。右手で、一番下の糸を、左親指からはずし、さらに、これに続く糸を左小指からはずします。
  5. 次に、右親指にある3本のループについて、今はずした糸に続くループ (右親指手前一番下の糸) を残して、他の2本のループを、左の親指・小指でつまんで持ち上げ、右親指からはずして保持しておきます。
  6. 右親指に残ったループを、右親指からはずします。
  7. 保持しておいた2本のループを右親指に戻します。
  8. 6.ではずしたものに続く糸 (右小指の下のループ) を、右小指の上のループの内側をくぐって右小指からはずします。

また、下の写真は、メルセデス・ベンツのロゴと綾取りです(*)。こういうこともできるのです。

 
「メルセデス・ベンツのロゴ」by K. Kamiya

あやとり展覧会についての詳しい情報は こちら へ。

(*) Kazuo Kamiya (2000) A Number, Some Letters, and Mercedes Benz Logo: Five amusing string figures. , BISFA Vol.7: pp. 336-338
TS

『世界あやとり紀行 — 精霊の遊戯』展 at 大阪 2007/05/14

現在、『世界あやとり紀行 — 精霊の遊戯』展はINAX大阪ギャラリーで開催されています。御堂筋本町の南西角の少し南、伊藤忠ビルの玄関の階段を上がると、INAXショールームの入り口となります。ギャラリーは、広いショールームの中にあります。

伊藤忠ビル
INAXショールームの入り口

会場入り口の左には、既刊のINAXブックレットの展示スペース、右には記帳や案内チラシが置かれ、ポスターが掲示されています。入り口には、右手に世界地図、左手には挨拶パネル、二人あやとりを取り合っている情景を描いた江戸時代の絵本のパネル、小さなビデオ再生装置があります。

会場入り口
オセアニア・コーナー入り口のあやとりオブジェ
完成パターンの展示
アフリカ・コーナー

会場の中に入りますと、横長の共通スペースで、各コーナーへの入り口があります。この共通スペースの右端に文献コーナー、左端に「極北圏パネル」があります。入り口から入って、共通スペースの向こう側には、左に「プロジェクター・コーナー (大スクリーン、椅子、あやとりオブジェ)」、真正面に「オセアニア・コーナー」、右に「完成パターンの現物展示のコーナー」があります。共通スペースのこちら側、入り口の両サイドの裏側が、「アジア/アフリカ・コーナー」と「北米/南米コーナー」となります。

東京会場は ‘うなぎの寝床’ 型のスペースで、展示を見ていて背中にやや圧迫感を感じました (ギャラリー1は「あやとり展」を最後に、現在全面改修中。6月新装オープンの予定)。一方、大阪会場は全体的に正方形で、ややゆったりした感じを受けました。スペースが広がったためでしょうか、実物展示が追加されていました。

4月29日に、朝日新聞に展覧会の大きな紹介記事が載り、ゴールデンウィークは客足が急増したとのことです。取り方手順を示した写真パネルを見てあやとりを実際に作ることは難しいようですが、運が良ければギャラリースタッフから習うこともできます。最終日の25日まで残りわずかとなりました。来場者には、あやとりひも (森製紐株式会社提供) を差し上げていますので、興味のある方は是非お立ち寄り下さい。なお、6月7日からはINAX名古屋ギャラリーで開かれます。

〔追記 あやとり講演会〕

4月20日に大阪会場での「あやとり講演会」が開催されました。約45名が参加。30分の講演は、日本あやとり協会・国際あやとり協会の設立のエピソードや、その活動、すなわち、あやとりをどう捉えているか、あやとりの魅力がどこにあるのかの話でした。そのあと、「天の川」・「引き潮」・「さえずる白鳥」・「耳の大きな犬」・「ハマトビムシ」のデモンストレーションに移りました。後半は、参加者の皆さんが、用意されたテキストを見ながら、「木登り男」・「バトカ峡谷」・「テントの幕/ナバホの敷物」・「かもめ」・「ハエ/カ」に取り組みました。INAXスタッフの皆さんの大活躍で、5つのあやとりを何とか皆さん、マスターされたようでした。あっという間の1時間半、皆さんとても熱心で、あやとりの魅力を再確認していただけたようでした。

また、以下の質問がありました:

問:日本の綾取りでは、中指でとりあうのか?
答:中指だけでなく、人差し指で取り合う方法も知られています → 《 さいとうたま あやとりコレクション》「はじめのかたち
問:出来上がりのパターンを手から離して平らな面の上に置くなどして見るあやとり (質問者は「あやおき」と呼ぶ) には、どういうものがあるのか?
答:INAXブックレット掲載のパプア・ニューギニアの「カメ」や、あやとりトピックスの「046 手から離して楽しむあやとり」のことを紹介。
TS

十二支のあやとり -6 2007/01/01

明けましておめでとうございます。

恒例の十二支あやとりを紹介します。今年の干支は、日本では「亥—イノシシ」ですが、中国では「ブタ」なのだそうです。そういえば、「西遊記」の猪八戒はブタの化け物でした。イノシシを家畜化すればブタになりますから、広い世界には、「イノシシ—ブタ」を厳密に区別していない文化圏もあるのです。

はじめのあやとりは、南太平洋のオーストラル諸島 (ツブアイ諸島) の「もぐもぐするボア」。ボア (イノシシ=野生のブタ) が何かをむしゃむしゃ食べているその口元の動きを表しています。

ボアの肋骨」は、両側の曲線が肋骨のように見えます。ブラジル中西部に暮らすカラジャの人々のあやとりです。

次は、ニューカレドニア島の東方のリフ島で採集された「こぶた」。胴体と四つ足がある立体的なパターンで、糸を上手に操るとブタを歩かせることができます。

最後は、パプア・ニューギニアの南方の島、キワイ島のあやとり「親ブタ子ブタ」です。これは、母ブタが子ブタの後をトコトコと追いかけている様子を表しています。

昨年は、ISFAにとって一つの節目の年になりました。企画テーマと切り口の面白さで定評のある〈INAXギャラリー展〉で「あやとり」が取り上げられたのです。主催者の要請を受け、ISFAは全面的に協力させていただきました。この展覧会を通じて、「あやとり」が世界各地にあること;一昔前には、「あやとり」がただの遊び以上の役割を果たしていた社会もあること;「ISFA」というユニークな協会が存在することが、少しずつ世間に認知されてきたようです。

当サイトでは、これまでと変わることなく、世界のあやとり情報の発信を続けたいと思っています。皆様からのあやとり情報 (とくに、海外でのあやとり見聞情報) をお待ちしています。今年もよろしくお願いいたします。

TS & Ys

あやとり講演会 2006/12/25

12月1日から、INAXギャラリー1 (東京・銀座) にて、あやとり展覧会が開催中です:『世界あやとり紀行 — 精霊の遊戯』展 (2007/01/20まで)。関連イベントとして、22日午後6時半より、ギャラリーラウンジで、野口廣 (ISFA設立者) の講演会 (トーク&ミニ・ワークショップ「世界のあやとり—暮らしと造形の不思議—」) がありました。

年配の方からお子さんまで老若男女、50数名の参加者を前にして、先生が話された内容は、あやとりに興味を持ったいきさつ—「日本あやとり協会」設立—海外との交流—「国際あやとり協会」へのバトンタッチを軸に、ご自身のあやとりにまつわる歴史について;そして、綾取りがどこで、いつ生まれたか、よく分からないことなどなど。

実演では解説とともに、「古代ギリシヤのあやとり (一番古い綾取り?!)」、「ほうき (地域により、取り方が違う例)」、「盃=屋根=腕付きのカヌー (地域により、呼び名が違う例)」、「引き潮 (同じ操作でどんどん増えていき、180度回転させ持ち替えると、同じ操作で減っていく=数学的には「再帰法」という考え方が背景にある)」、「木登り男 (男が木をよじ登っていく動きのあるあやとり)」、「かもめ」、「テントの幕/ナバホの敷物 (最後に、手をこすり合わせて、パッと手を開くと、きれいな模様が出来上がる———どのようにして、このような操作法を考え出したのかという不思議さ)」、「ナバホの蝶 (蝶のぐるぐる巻いた口吻までを表現している素晴らしさ)」、「稲妻 (ごろごろ、ピカッと言いながら、パッとイナズマのパターンを現す)」、「鳥 (右から左に飛んでいく)」を紹介。客席からは「テントの幕/ナバホの敷物」など、ぱっとパターンが現れると、おおっーと歓声が上がっていました。

最後のワークショップ (45分) では、INAXスタッフ・ISFA会員のサポートで、参加者が「テントの幕/ナバホの敷物」、「ナバホの蝶」、「ハマトビムシ」に挑戦。また、会員が美しく楽しい「さえずる白鳥」、「天の川」、「耳の大きな犬」、「山並み」の実演を行いました。終演後、ご参加いただいた皆さんからは “楽しかった、はまっちゃいそう、あやとりは奥が深いんですねー” などなどの感想をいただき、先生もほっとしておられました。

講師、内容は未定ですが、明年開催のINAX大阪、名古屋会場 (スケジュールはこちら) でも関連イベントが予定されています。興味のある方は、どうぞご参加ください。

なお、この講演会については、INAXギャラリーのページ:東京トーク&ミニ・ワークショップ「世界のあやとり—暮らしと造形の不思議—」レポートもご覧下さい。

TS

ラパヌイ (イースター島) のあやとり 2006/09/01

「モアイ」で知られる南太平洋の絶海の孤島ラパヌイ (イースター島) は、近年人気のある観光地となり日本からも大勢の旅行者が訪れています。当地の観光客向けのショーで「あやとり」が演じられているのをご覧になって驚かれた方もおられるでしょう。しかし、ラパヌイの綾取り「カイカイ kai kai」は、私たちの知っているような、ただの子ども遊びではありません。「カイカイ」には、「モアイ」と同じように、失われたラパヌイの文化と歴史が秘められているのです。

17世紀以降に西洋文明が到来するまでは、南太平洋の島々は文字のない社会でした。人々は、それぞれの環境世界で生き延びていくための知恵・知識を〈文字〉以外の様々な方法で伝承していました。そのような伝承形式は一般に〈口承=口頭伝承〉と呼ばれます。「口承=口伝えで継承する」という言葉から分かるように「語り・唄」がその方法の中心になっています。しかし、膨大な量のテキストを記憶して次代に継承することは簡単なことではありません。唄・語りだけでなく、踊りや楽器演奏、それらを統合した儀式や年中行事に知恵・知識を組み込み ‘身体 (からだ)’ に記憶させて、次世代へと継承していたのです。そして岩壁画、彫像、織物 (に織り込まれた模様) などはその文化継承を補完する長期的に保存可能な ‘外的記憶装置’ の役割を果たしていました。また、そのような人工物だけでなく夜空の星々や、山・川・滝などの自然地形にも知恵・知識をリンクさせて、それらを目にするたびに記憶が蘇るようにしていたのです。

「あやとり」は ‘身体—手指’ で記憶していることは皆さんもご存知でしょう。子どもの頃に「ふたりあやとり」や「はしご」をマスターした人なら、その後何十年もブランクがあっても、手指を動かしているうちに取り方を思い出すものです。〈無文字社会〉の「あやとり」には、唄や語りを伴うものが少なくありません (むしろ、それが「あやとり」の本来の姿と思われます)。子どもの頃に年長者から「あやとり」を教わりながら聞いた言い伝えは、「あやとり」とともに深く記憶されます。そして、時を経て自らが教える立場の人となればそれを子どもたちに伝える…。「あやとり」もまた、ささやかながら知恵・知識の記憶・伝承の一つの手段として口承文化の一翼を担っていたのです。

しかし、その本来の役割は、西洋文明の到来によって衰退・滅亡を余儀なくされました。今、私たちの手元にある「世界のあやとり」の多くは、19世紀末期以降に現地を訪れた人々によって拾い集められた「口承文化としてのあやとり」の断片に過ぎません。それでも、それを伝承してきた社会の過去の出来事や、人々の世界観を読み取ることのできる「あやとり」も残されてはいるのです。

ラパヌイには、「ロンゴロンゴ」と呼ばれる文字が存在しました。しかし、伝承の中心はやはり文字以外の方法であったようです(*1)。1934年に現地を訪れたフランスの民族学者A.メトローは、島民から「綾取りは、唄や語りを覚えやすくするために用いられた。子どもたちには、信仰に関わる知識や、木板を彫る技を身につける前に、綾取りをマスターすることが重要であった(*2)」との話を聞いています。子どもたちは集中力を高め、物事を記憶する能力や巧みな手技を身につけるための入門編として「あやとり」を習っていたのです。

この島では、「モアイ倒壊」で知られる島民同士の抗争や、西欧人到達後の様々な災難 (ペルー人の持ち込んだ伝染病の流行、「この島全土を羊の牧場にする」と宣言して、多くの島民をタヒチなどへ島流しにした一フランス人の愚行など枚挙にいとまなし) により、1877年には人口が僅か111人にまで激減。島の伝承文化は「モアイ」に代表される遺物と謎だけを残してほぼ消滅しました。「あやとり」は、しかし、そのような苦難の時代を奇跡的に乗り越え生き残ったのです。ただし、今日まで伝えられた「あやとり」が古来からの伝承そのものであるのか、苦難の時代以後に復活再生されたのかは定かではありません。おそらく、その両方が現存するのであろうと考えられています。ラパヌイ文化の最盛期には、同じ綾取りでもクラン (氏族) ごとに異なった唄や語りが伝えられていたとも言われています。

20世紀の前半、唄や語りを伴う「あやとり」を継承している島民は数人いましたが、80年代には老女一人だけが残りました。その人 Amelia Tepano さんは、ラパヌイ文化研究者の著作で紹介され、海外のテレビ・ドキュメンタリー番組にも登場、かなり有名な ‘伝説の人 a living legend’ となります(*3)。そして今日、その娘さんが「あやとり」を受け継ぎ、さらに若い世代へ継承、祭りや観光ショーで演じているのです。昨年、放送された「世界遺産」関係のTV番組でも、島の祭り「タパティ」で踊り手が「あやとり」を見せながら、唄を歌っている様子が映っていました(*4)

ユネスコの「世界遺産条約」については、皆さんもよくご存知でしょう。世界の有形文化財や自然の保護を目的とするこの条約は1972年に発効、以来、日本からも数多くの登録がなされています。そして、2003年には、これまで対象外であった民族文化財、フォークロア、口頭伝承などの無形の文化を、人類共通の遺産として保護しようという「無形文化遺産保護条約」が作成されました。西洋文明が到達する以前のラパヌイの民間伝承を今日まで伝えてきた「カイカイ」は、「あやとり」の分野では、無形文化遺産登録の最有力候補と言えましょう。

(*1)以下の記述は次の論考を参考にしています: Mark A. Sherman (1993) "Evolution of the Easter Island String Figure Repertoire" Bullentin of Strin Figures Association No.19:19-88
(*2) Metraux, A. (1940) "Ethnology of Easter Island" In: Bernice P. Bishop Museum Bulletin 160. 上記の (*1) にある引用文 (英語) から
(*3) 筆者は、かなり以前の『世界ふしぎ発見!』(TBS系列) で、おばあさんが何か唄うように語りながらあやとりを取っているシーンを見た記憶があります (レポーターは竹内海南江さん)。この老女が ‘伝説の人’ で間違いないと思います。
(*4) NHKTV『探検ロマン 世界遺産』—「絶海の孤島 神秘のモアイ像~チリ・イースター島」 2005/5/12

〔追記〕

「ロンゴロンゴ」文字は、研究者がさまざまなアプローチを続けていますが、未だ解読されていません。近年、ロシアの研究者は「綾取り」との関連性を発見しました。「個々のロンゴロンゴ文字の形」とラパヌイや南太平洋諸島の「あやとりの出来上がりの形」に共通性が見られるのです。氏はあやとりの名称や言い伝えを手掛かりに、木彫板に記されたロンゴロンゴの文章を解読しようと試みています。興味のある方は、Sergei V. Rjabchikov 氏の英文サイト:《RONGORONGO HOME PAGE》へこのサイトはすでに存在しません。また、「ロンゴロンゴ—あやとり」関係の論考は ISFA年会報 Volume 3 (1996) から Volume 8 (2001) まで6回連載されています → Bulletin of the International String Figure Association

Ys

韓国・ソウルにて 2006/07/09

先日、韓国ソウルに行く機会がありました。到着早々、ソウルで一番大きい本屋さん、「教保文庫 キョボムンゴ」へ行きました。

(1)
(2)
(3)
(4)

場所は、景福宮[キョンボックン]の南の正門の光化門[クァンファムン] (1) ———立派な狛犬 (2) が左右に控えている———から世宗路セジョンノを南に少し下った李舜臣[イ スンシン]将軍銅像 (3) のあたり、ソウル市庁舎[ソウルシチョン] (4) (*1)から少し北のところです。世宗文化会館と通りを隔てた向かいの大きな教保ビル[(5) 褐色の建物]の地下1階です。確かに非常に大きな本屋でした (6)。そこで、あやとりの本を探しました。

(5)
(6)

旅行前に、『例解新日韓辞典』(韓国民衆書林発行、三省堂発売) で調べておきました。あやとりは「シルトゥギ」です。さらに細かく調べると、"シル" は「糸」、"トゥギ" は「編む」というような意味でした。

(7)

売り場で店員さんに "シルトゥギ?" と聞きますと、最初、編み物の本のところに連れて行かれました。"Children's play." と説明すると、折り紙の本の置いてある書棚に、一冊だけ見つかりました (7)。この大きな書店の膨大の本の中に、たった一冊だけでした(*2)。表紙のタイトルは、「シルトゥギノリ」で、"ノリ" は「遊び」です。付録として糸が2本付いています。つなぎ目はアルミ管 (?) で封じ、結び目を無くしていました。

内容は、「ほうき・さかづきの反対向けでスカート・バナナ・さかずきからの電球・指移し・とんぼ・菊、一段・二段ばしご・のこぎり・二人綾とり」などなどです。「シベリヤの家・めがね」など日本のあやとり本で紹介されている海外の綾取りも収録されていますので、日本の本のコピーかもしれません。この中に、昔の朝鮮文化独自のあやとりもあるのでしょうか。また、伝承あやとりだけを紹介した本もあるのでしょうか。今回はほんのちょっとの旅行滞在でしたので、本当のところはよくわかりません。昔の朝鮮のあやとり事情に詳しい方にご教示願いたいです。

(*1)

ソウルにいたのは、ちょうどW杯サッカーの開催時期でした。それで、この市庁舎周辺がサポーターで埋め尽くされる光景がどんなものかを期待していました。残念ながら、韓国代表は決勝トーナメントには進めず、見ることができませんでした。

ところで、私が「W杯サッカーの熱狂」というものを実感したのは、1990年のイタリア大会の時でした。ちょうど、その時期にブリュッセル・パリを旅行していました。ベルギーの首都ブリュッセルの町の中心にある広場:グラン・プラスでは、W杯サッカーの試合が終わると、「勝った!勝った!」と、サポーターは心の底からの歓声やからだ全体で地鳴りがするほどの喜びを爆発させるのでした。高揚し歓喜あふれるデモの熱気を感じさせられました。2、3日してパリに旅先を移し、シャンゼリゼのとあるレストランに入りました。ウェイターは、お客が来ると、これは自分が案内した客だということで、注文を取りに走ります。チップに関係するからでしょうか、「俺の客に手を出すな」と、ウェイター同士が言い合いをすることもあります。はげしく言い合いをしていても、客に顔を向けるときは愛想が良いのです。これがフランス流のやり方だと思っていました。その後、あちこち見て回り、モンマルトルの丘にあるカフェに入りましたが、そこでは、誰も注文を取りに来ません。客など眼中になくこちらへは全く寄りつかないのです。さきほどの体験が、頭にあったものですから、なぜ客の確保にいちはやく出てこないのか不思議に思い、しびれを切らせて催促しました。しかし、何度催促しても出て来ないのです。どうなっているのかと、彼らの目線の先を追いますと、サッカーの試合が始まり、ウェイター全員がテレビの前に釘付けなのでした。最初のレストランに入ったのは、まだ試合前の時間帯だったのです。

人のまばらな市庁舎前で、こんなことを思い出していました。

(*2)

書棚から取り出した本は、元の位置に戻すようにと言われました。分類整理がしっかりしていますから、一冊だけだったと思います。他の本屋にも行きたかったのですが、時間がありませんでした。

このあやとり本を買った時のことですが、レジで袋に入れてくれませんでした。店員が何か言ってるのですが、わからないのでむきだしのままの本を持って、大丈夫かなと少々焦りながら、本屋から出ました。その後に行ったコンビニでも品物を袋に入れてくれません。2、3回の利用後、袋のことを言うと、別売りらしいことがわかりました。あのとき、本屋のレジで何か言われたのはこのことだったのかと、今になって思い当たります。

TS

南北朝時代に「綾取り」が…??? 2006/06/24

室町幕府三代将軍足利義満、その急死の真相は今も謎に包まれています。これまでにも歴史学者や作家がそれぞれの立場から真相の解明に挑み、今は暗殺説が有力になっているようです。黒須紀一郎の最新作『日本国王抹殺』もこの謎の死を主題としています(*1)

さて、この小説には思いもよらない形で「綾取り」が出てきます。もちろん、文献資料に裏付けられた話ではなく、フィクションであることは言うまでもありません。「石置き文字」や「綾取り」を取り入れることで、神々の時代の御霊を守護する ‘異類の人間たち’ に、〈文字を持たない社会〉の人々のイメージを重ねようとする作者の意図を感じました。

当サイトをご覧になれば、世界各地の〈文字を持たない社会〉で、「綾取り」が盛んに行われていたことがお分かりいただけましょう。綾取りを呪術として行っていた例も報告されています:ヤムイモの種イモを植付ける時に豊作を祈願して子供たちに特別のあやとりを作らせるパプア・ニューギニア東部のある地方の人々;綾取りで太陽の運行を助けようとするイグルリク・イヌイット、…。

また、これまでの海外の調査では、「綾取り占い師」が存在したという報告はありません。しかし、遊びとしての「占いあやとり」は記録に残されています。ネイティブ・アメリカンのワイラキの人々の間で伝えられていた「赤ん坊占い」。出来上がりのパターンの違いで生まれてくる子どもの性別を占う、ユニークな発想のあやとりです。

このような〈文字を持たない社会〉における「綾取り」の実情を少しでも知る者には、作者の着想が ‘異類の人間’ 組織に一種のユーモアを含んだ迫真性を与えることに成功していると思えるのです。また、神社の近くで客を相手に ‘綾取り占い’ する巫女 (名は乙前) の描写も、当時の遊芸女性の職としてほんとうにあったかも…と思いながら読みました。あまり立ち入って内容を紹介することはできませんので、興味のある方は是非この本を手にとってご覧下さい。

ついでながら、‘綾取り占い巫女’ はフィクションですが、「乙前 おとまへ」という名の女性は歴史上に実在しています。ただし、その時代はこの小説よりも二百年ほど昔の平安時代の後期。当時の流行歌謡「今様」の名人として知られた白拍子、それが「乙前」です。時の最高権力者後白河法皇は乙前の弟子となり、後世に「あそびをせんとや うまれけむ」で有名な今様歌謡集『梁塵秘抄』を残しました。

その『梁塵秘抄 (巻第二)』には、「羽なき鳥の様かるは[はねなきとりのようかるは]」で始まる「鳥」ではない「とり」を並べた「とり尽し」の戯れ歌があります(*2)。歌詞にあるのは「弓取」や植物の「虎杖 いたどり」、子どもの遊びの「石取り いしなとり」…、残念ながら「いととり、あやとり」は出てきません。

史実としての「あやとり」の歴史解明—遊戯史考証—は依然として江戸初期で足踏みしています (トピックス 107)。こちらの方もフィクションの世界に負けないように、もっと昔へ昔へと遡りたいものです。

(*1) 『日本国王抹殺』黒須紀一郎 (2006) 作品社
(*2) 『梁塵秘抄』新訂版、校訂:佐佐木信綱、岩波文庫:pp.65
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